無病息災、家内安全、五穀豊穣、ヤハハイロー

ヤハハイロー、スンキ、スンバク、カゼノモト、みんなもってけぇ。

本来ならば、正月15日、小正月の行事である。地域によって、いろいろな呼び名があるようだ。左義長祭り、どんど焼き、オサイトウ。

ヤハハイローは、囃子言葉である。高く燃え上がる炎に向かって、ヤハハイロー。多分、ヤハハイロは、弥栄(いやさか)を訓読み(?)した「弥よ、栄えあれ」が変化したものではないだろうか。スンキは、「疝気」。スンバクは、「寸白(すばく)」で条虫や回虫などの寄生虫。そしてカゼノモトは、そのまま「風邪の元」だろう。これらの病気をヤハハイロの炎が持って行ってくれるようにお願いしたものである。

最近は、あまり見かけなくなったが、かっては、「身拭き紙」と言って、チリ紙で具合の悪いところを拭いて、病気が治るように念じて、身拭き紙をヤハハイロの炎に投じた。また、ヤハハイロの火で煙草を点けて吸うと風邪をひかないと言われ、普段煙草を吸わない女性などもこの日だけは、もらい煙草をしていた。

前は、稲わらで作っていたが、コンバインで稲を刈り、わらが出ないようになり、今では、わらは貴重品だ。秋に役員が刈り取った萱で、本体をつくり、申し訳程度に、天辺だけ稲わらで飾る。ヤハハイロは、大小二体作る。小さい方は、便所の神様と言われ、多分、年をとっても、シモの世話だけは人に迷惑をかけたくないという願いを込められたものかもしれない。

以前は、注連飾り、お札、御幣、お守りなど、粗末に扱うと罰が当たると言われるものを家々から子供たちが集めてきて、ヤハハイロの中に入れた。今は、少子化で子供たちも少なくなり、各々が持ち寄るようになった。

夜七時。集落の人が集まり、まず、葉山に向かって二拝二拍手一礼で五穀豊穣、無病息災、家内安全を祈願する。祭壇代わりの雪の原には、稲わら、豆柄を苗に見立て、雪中田植えをする。農の行事でもある。

いよいよ点火。長老が点火し、いつまでも倒れずに燃え上がると豊作間違いなし。炎を見つめながら、ヤハハイローの声が夜空にこだまする。

 

 

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裏山の雪が麓からも観察できました。

今月4日に葉山に登った時には、1000メートルラインから登山道に雪があり、頂上付近では、4~5センチの雪がありました。登山道には、大きな足跡が。熊? 同行の人に聞いたら、木の枝に積もった雪が落下してできた跡とのこと。しばらく行くと、今度は間違いなく動物の足跡。二つに分かれた爪、カモシカの足跡です。さらに、小さい爪が4本、今度こそ熊?

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ササグマの足跡

同行の人は、ササグマとのこと。聞いたことがない? 確かめると「アナグマ」でした。カモシカの足跡とアナグマの足跡は、登山道に沿ってずっと続い

ていました。動物も藪の中を歩くよりは、登山道の方が歩きやすいようです。そういえば、今年の春は、登山道のいたる所に熊の糞が見られました。熊もやっぱり、登山道の方が歩き易いので利用するのでしょうか。

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カモシカの足跡

 

頂上の御田代も雪の原でしたが、稲穂が一本。毎年、田んぼの豊作を祈って、早苗を植えていますが、高原のこと、稔ることはまれです。ところが、今年は、記録的な猛暑。見事に稔っていました。

一穂だけ稔った御田代の稲

あれから10日。いよいよ里からも裏山の雪化粧が眺めれられるようになりました。そういえば、日曜日には、雪虫が飛んでいましたので、いよいよ里にも雪が降る季節になったようです。

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コマクサを求めて〰蔵王熊野岳

7月26日に梅雨明けした東北。連日猛暑が続いている中、7月29日、コマクサを求めて蔵王熊野岳に登った。蔵王ライザスキー場の中ほどから登山道に入り、仙人橋を渡り、標高1,562mの中丸山を目指した。

小灌木越しに遠くエコーラインを望む

ほぼ無風状態で、朝から蒸し暑く、階段上ではないが急な上り坂が続く中、楢の林の中をひたすら登る。登り始めて30分、途中、視界が開け、仙人沢の滝が見えるところに着くころには汗びっしょりの状態だった。この辺から、周囲がブナの林に変わり、さらに俗称嫁起こしと云われる柘植などの小灌木に樹相が変わり、場所によっては、振り返ると上山の市街地が望めるようになる。時折、蔵王エコーラインを走るバイクの音なども聞こえ、夏休み本番を感じさせる。急な登りを過ぎ、登山道が木道に変わる辺りに来ると、第一の目標地点、中丸山が見えてくる。散りかけたシャクナゲの白い花がところどころに見える。時には風が渡ってくるが、時折射す日差しの方が強く、焼かれる感じがしたが、登り始めから1時間半、中丸山に到着。

目指す熊野岳はガスの中

中丸山からは、比較的緩やかな登りで、周囲のアオモリトドマツなどの針葉樹が放つフィトンチッドの香りに包まれ、快適に歩を進める。月見が原を過ぎるといよいよ熊野岳、蕾のトウウチソウ、アオノツガザクラ、花期の過ぎたコメバツガザクラの群生など見ながら、迷うほどのガスではないが、木柱を頼りに山頂を目指す。

蔵王のシンボル〰花期の過ぎたコマクサ

ガレ場に入るとすぐに、コマクサの群落。ちょっと花期が過ぎた感じであったが、久々のコマクサとの対面。ガレ場の中に逞しくも可憐なコマクサには、どこか人を引き付けるものを感じる。熊野岳山頂。9時40分。登り始めから丁度3時間。山頂は、薄いガスの中。西の風が強く、下界の暑さが嘘のように、薄手の長袖では寒さを感じるほどで、岩陰で風を避けて大休憩。頂上からの御釜の展望を期待したが、ガスが濃く、止む無く下山。あきらめかけていたが、途中で雲が走り始め、御釜の姿が眼前に。普段、レストハウス近くの柵のところから眺める御釜の姿とは異なる角度で、より近くに迫る乳色がかった緑の湖面とそそり立つ火口壁に、しばし見とれた。

説明を要しない蔵王の御釜

御釜を眺めながら、早めの昼食を終え、12時丁度。下山開始。コバイケイソウは、まだ咲いていないが、熊野岳に向かう途中には蕾だったトウウチソウがいたるところで、穂先に僅かに赤をのせた白い花を咲かせていた。数年前に9月に鳥海山に登った時に覚えたトウウチソウだが、蔵王の花期は早いのだろうか。唐打草、カタカナでも意味がわからないが、漢字にしても意味不明。調べてみたら唐打紐という丸紐の名前だそうだ。別名唐糸草、外国から伝わったきれいな絹糸のような花の意味だそうだが、この方が分かりやすい。

 普段は、車でしか通ることがないエコライン沿いの登山道だが、チングルマのヒゲ爺さんの群落。

ヤマブキショウマ それともトリアシショウマ

ヤマブキショウマだろうか白い花や、黄色の小さな花の群落など、色々な花々に、機会があったら、別な季節にも訪れてみたいと思わせる。途中、スキー場のゲレンデを下り、終点間近、お清水の森(おしずのもり)へ。

西国三十三観音 修験の森の佇まい

西国三十三観音像、ねじれ杉などかっての修験の森を感じされる鬱蒼としたブナの森。そして、なんと云っても「お清水」と呼ぶに相応しい冷たい湧水。喉を潤し、火照った顔を洗い13時30分、無事下山した。

 

 

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古寺〰大朝日往復

7月16日(日)、古寺鉱泉から大朝日まで日帰りで登ってきた。前々日、前日と長井葉山の昭和堰根払い作業を泊りでやった後なので、大丈夫かなと思いながらの山登りだった 。古寺鉱泉 5:20 合体の樹 5:50 一服清水 6:40 日暮沢小屋分岐 6:55 ここいらまでは順調だったが、三沢清水 7:25

大朝日目指しヒメサユリに励まされ

冷たい水に助けられながら、そろそろ盛りを過ぎかけたヒメサユリの群落に迎えられ、どうにか 古寺山 7:55 まで到着。鉱泉出発前に確認した携帯電話に自宅からの着信があり、気になっていたが、鉱泉は窪地で圏外でどうしようもなく、古寺山山頂で、連絡を取る。つまらない忘れ物があったとのこと、安心。一緒に里心が付き、天気もガスがかかりイマイチの状態なので、引き返しても・・・・

目指す大朝日はガスの中

せめて小朝日までの声に、気を取り直して出発。マキ道分岐 8:25、小朝日分岐(熊越) 8:45と歩を進め、銀玉水 9:35に到着する頃には、大分遠望が利くようになり、避難小屋 10:20、大朝日山頂 10:35に到着。山頂は、風が強く、視界不良だったが、3年ぶりの大朝日に満足。下山する頃には、大分ガスも晴れ、Y字雪渓、中岳、障子ガ岳と峰々が姿を現し、

Y字雪渓と大朝日

東側には、白鷹山、蔵王の遠望。南には、御影森、そして遠く飯豊連峰と山形の山々が広がる光景は、古寺山で逡巡していたのが嘘のようだった。

特に、御影森の東に広がる長井葉山の稜線。前日に根払い作業を行った葉山平を裏から眺める感じで、今度は、是非、御影森に登って、もっと近くから葉山を眺めてみたいと思ったところである。

御影森と後ろに広がる葉山平

銀玉水 11:50、小朝日山頂 13:00、古寺山 13:45、古寺鉱泉 15:35 無事下山。大井沢の「湯ったり館」で塩の吹いた身体を洗い満足の山行だった。

 

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イルカ汁

7月も中旬を迎えるというのに、例年のようなジメジメムシムシの梅雨空と異なり、暑いような寒いような妙な天気が続いている。6月下旬は、あまり雨も降らず、畑はすっかり乾燥状態で、キュウリもナスも大きくなれないでいた。

そんな中、ジャガイモはスクスク育ち、ちょっと早いかなと思っていたが、妻が待ちきれず掘ったところ、ちょうど手頃の3〰4cm程度に成長していた。どういうわけか、今年は子芋がなく、割合大きさが揃っているようだ。子芋の煮っ転がしが好きな長男にとっては、今年は残念な年になりそうである。

塩クジラとジャガイモの絶妙なハーモニー「イルカ汁」

    新ジャガと言うと、茹でジャガ、キントンといろいろ調理方法があるが、山形では何と言っても「イルカ汁」である。皮を剥かずに適当な大きさに切ったジャガイモとまだちょっと硬い感じがする長ネギの青い葉の部分、それに「塩クジラ」を味噌汁仕立てにした至って簡単な料理である。しかし、ジャガイモのホクホクと塩クジラの癖のない油が表面に浮き、適度な絶妙な塩加減は、新ジャガの季節ならではの料理である。

 

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子孫を想う情念の山地農業用水堰と水利権

 とある団体のブログに投稿した拙文である。

 4月に入っても連日雪模様が続き足踏みしていた春が、連休の声とともに山形にも一気に訪れ、梅に、桃、桜に西洋なし、さくらんぼ、庭の水仙、芝桜など春の花が一斉に開花し、百花繚乱、長井盆地は一面の花盛りであった。例年なら、ソメイヨシノから一呼吸おいて咲き始める樹齢1200年の国指定天然記念物のエドヒガンの古木「久保桜」も「大明神桜」も一緒に花が開いた。

実質日本一の桜の巨木 長井市草岡の大明神桜

 目を転じて、残雪の西山を眺めると、何時の間にかブナの濃い緑が山の中腹まで登っていた。ブナの発芽は、いつもの年ならば、峰伝いに始まり、次第に斜面に広がっていくが、今年は、一気に峰から斜面に濃い緑が広がっている。峰伝いにブナの緑が登っていく様子を古老は「峯越(ほっこし)?」と言い、峯越は、長井盆地に本格的な春の到来を告げ、水田の耕耘、代掻き、田植えと春作業も盛りを迎える。

満開の桜から長井盆地に恵の水を供給する葉山を望む

 西山は、地元の通称で、正式には「葉山」である。朝日連峰の南の端に位置し、標高1200mとそれほどの高さではないが、山頂には、「御田代」と呼ぶ高層湿原がある。池塘には「モウセンゴケ」や「ミツガシワ」などの高山植物もみられ、日照りの年でも干上がることがない。土地の農家は、田植えが終わると早苗を持って葉山に登り、御田代に田植えし、五穀豊穣を祈る信仰の山でもある。

夏の日照りでも涸れることがない葉山山頂の御田代

 ここに地元で保存活動している2つの山地農業用水堰の遺構がある。一つは、「嘉永堰」で、嘉永6年(1853年)の大旱魃を契機に、米沢藩が嘉永6年の晩秋から冬にかけて施工したものである。本来葉山の西側に流れて置賜野川に注ぐ水を約700mの掘割によって東側に引水し、約200haの水田を潤した。

 もう一つが、湿田を乾田化する暗渠排水工事の施工に伴う水不足を解消するため、昭和7年から9年にかけて地元の共同事業として施工された「昭和堰」である。葉山の山頂直下から、土管や素掘の水路で嘉永堰上流まで約3500mを引水した。これにより嘉永堰の水量が増し、昭和9年の大凶作を経て、翌10年には、湿田70haの「県営暗渠排水事業」に着手することができた。

 何れも、標高1000m以上の高地に位置し、昭和堰の工事では、土管やセメントなどの工事資材を人力や牛の背で担ぎあげ、山中に小屋掛けしての難工事であったことを当時の写真が伝えている。冬には数mの積雪がある場所であり、急な斜面に敷設した土管や水路が雪崩で崩落するなど、工事完成後も、施設維持のため、毎年葉山に登り、堰の泥上げや補修を行ってきたという。 

苦労が偲ばれる斜面に建てられた藁ぶきの現場事務所

 このように、江戸時代から昭和へと、水稲の豊作を願い、貴重な水資源の確保に貢献してきた「嘉永堰」、「昭和堰」であるが、置賜野川本流に木地山ダムが建設された昭和30年代後半、その役目を終え、その存在も何時の間にか忘れ去られることとなった。

かって嘉永堰、昭和堰の水で潤された地域の水田

 それから30数年後の平成4年、嘉永堰のことが記された古文書に導かれ、地元の先達の遺徳を確認しようと「嘉永堰・昭和堰を見る会(現:西山の史跡を見る会)」が結成された。登山道から離れ、アプローチもままならなかった2つの堰のルートを探索するとともに、有志10数名で毎年根払いを行い、苦難の末、完工した工事を後世に伝え残すため、遺構の保存に努めている。これらの活動と地元の自然保護活動家の尽力により、見る会が根払いした昭和堰の遺構が葉山登山道の迂回・周回コースとして登山地図に掲載されるまでになっている。

毎年行われる遺構を守る根払い作業

  調布市在住のサイエンスボランティアが「子孫を想う情念の山地農業用水堰」と呼んだ嘉永堰、昭和堰であるが、地元では、今、この水を使うことができない。今年から本格実施された環境保全型農業直接支援対策のメニューの一つである冬季湛水管理では、当然のことながら冬季に用水を確保する必要があるが、この地域の農業用水路の水利権が、ダムの完成とともに一本化され、それまでの慣行水利権が消滅してしまっているのである。

 冬季に地域を流れる水は、かっての嘉永堰、昭和堰の下流の沢から集まった水であり、縄文の昔から、集落の発生とともに数千年に渡り地域を潤してきた水である。しかし、現在の水利権が、水稲の栽培期間に限られるため、正式には冬季の農業用水として使えないのである。地域には、直接支援対策が始まる前から、「冬水田んぼ」に取組んできた農家がいるが、それは「盗水」に当たり、直接支援対策の対象とはならない。

 ダムが出来た昭和30年代は、環境保全型農業の概念もなく、まして冬季湛水などもってのほかだったろう。時代の趨勢の中で、国あげての環境保全政策でありながら、一方の河川行政が柔軟に対応できない制度に矛盾を感じながら、今年も7月には、1泊2日の根払い作業に向かう予定である。

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長井市勧進代総宮神社の春祭り

長井市勧進代地区は、長井市の西北に位置し、西に1200mの葉山を望む戸数220戸ほどの大字の地区である。ここの鎮守の社が、明治42年、地区内にあった八幡神社、熊野神社、皇大神宮など合祀した「総宮神社」である。ここの例大祭が春は、5月3日、秋は8月15日、16日である。祭には、長井市内の他の神社と同じように「黒獅子」が出る。その昔、安部貞任の娘、卯の花姫が源義家に恋し、義家が卯の花姫を裏切ったことから、それを嘆き悲しんだ姫が置賜野川の源流三淵に身を投げ竜神と化した。その竜神を表したのが黒獅子と云われる。約10メートルの大きな黒幕には、さざ波と波頭が描かれ、獅子頭は、別名「蛇頭」と呼ばれる所以である。

勧進代では、単に「獅子」と呼んでいるが、今年で23回目を迎える「ながい黒獅子まつり」が始まったころから、長井の獅子舞は、「黒獅子」となったようである。大幕の中に、20名ほどの白装束の獅子連が入り、先頭の一人が、摺り足で大きな蛇頭を振る。警護棒を構えた先払(警護)、化粧まわしを締めた相撲(勧進代の相撲は「小桜」の四股名である)、獅子連の纏め役である獅子頭、高張提灯、神主などで行列を作る。お祭りでは、先ず獅子が出て、境内を清めた後に神輿が渡る。云わば、獅子は、神輿の先払いである。しかし、境内に解き放たれた獅子は、喜び勇んで、なかなか言うことを聞かない。それを制御するのが、警護と相撲の役割である。祭の間中、獅子は、獅子頭が掲げる「獅子頭」の提灯を目印に、舞い踊る。時には、獅子頭の提灯に挑みかかる。境内一杯に繰り広げられる荒々しくも勇壮なやり取りに、観客は酔い痴れる。

そして、大団円。祭りのクライマックスが、獅子を拝殿に入れる時である。境内の中央で拝殿を睨み仁王立ちした小桜が、それまで手に持っていた扇子を化粧まわしに挟み込む。そこにすり寄った来た獅子を小桜が突然担ぎ上げると、お囃子がそれまでのにぎやかな調べから、ちょっと哀愁を帯びたものに変わる。何時までも遊んでいたい獅子と小桜の力比べ。なかなか一度では、獅子を入れることができなく、逃げ出してしまう獅子。逃げ出した獅子は、今まで以上に荒くれ、境内中を駆け回る。時には、観客の群れの中になだれ込む。数度のやり取りの後、獅子を担ぎ上げた小桜の足が拝殿の階段に掛かると、獅子も年貢の納め時、宮入である。囃子の調子が一段と変わり、境内中を祭の終わりが支配する。

勧進代総宮神社の獅子頭は、3体あるが、最も古いのは、約200年前に作られたものである。目に特徴があり、「赤目」の獅子である。元々は、金色の目だったのだろうが、年月を経て下地の赤がまだら模様に浮き出て、あたかも血走ったように見え、凄みを与えている。今年の春祭りには、この赤目の「守助」獅子が登場した。生憎の雨模様であったが、ずぶ濡れになりながら、今年の五穀豊穣と家内安全を祈願した。

 

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一面桜花の長井盆地~春爛漫

今年の冬は、記録的な豪雪で、山形も5年ぶりとか、30年ぶりとかの積雪を記録しました。加えて、春の訪れが遅く、4月に入っても連日の雪模様で、いったい何時になったら春がくるのかと気持ちが暗くなるばかりでした。それが、一転、4月中旬から天候が回復し、暖かい日が続いたかと思ったら、遅れていた桜も開花。長井盆地は一面の花盛り。例年なら、染井吉野から一呼吸おいて開花する樹齢1200年の江戸彼岸桜の古木、久保桜も大明神桜も一斉に花を咲かせました。

残雪の西山を眺めると、何時の間にかブナの濃い緑が山の中腹まで登っています。ブナの発芽は、いつもの年ですと、峰伝いに始まり、斜面に広がっていくのですが、今年は、一気に峰から斜面に濃い緑が広がっています。峰伝いにブナの緑が登っていく様子を「峯越(ほっこし)?」と古老は言い、峯越は、長井盆地に本格的な春の到来を告げる風物詩。気の早い山人(やまんど-やまうど)は、いよいよ山菜取りの季節と休みの日が待ち遠しく、いち早く芽を出すコゴミ、モエ(アケビの新芽)、カタタゴ(カタクリの花)が目の前をちらつく季節です。

 

 

 

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