長井市勧進代総宮神社の春祭り

長井市勧進代地区は、長井市の西北に位置し、西に1200mの葉山を望む戸数220戸ほどの大字の地区である。ここの鎮守の社が、明治42年、地区内にあった八幡神社、熊野神社、皇大神宮など合祀した「総宮神社」である。ここの例大祭が春は、5月3日、秋は8月15日、16日である。祭には、長井市内の他の神社と同じように「黒獅子」が出る。その昔、安部貞任の娘、卯の花姫が源義家に恋し、義家が卯の花姫を裏切ったことから、それを嘆き悲しんだ姫が置賜野川の源流三淵に身を投げ竜神と化した。その竜神を表したのが黒獅子と云われる。約10メートルの大きな黒幕には、さざ波と波頭が描かれ、獅子頭は、別名「蛇頭」と呼ばれる所以である。

勧進代では、単に「獅子」と呼んでいるが、今年で23回目を迎える「ながい黒獅子まつり」が始まったころから、長井の獅子舞は、「黒獅子」となったようである。大幕の中に、20名ほどの白装束の獅子連が入り、先頭の一人が、摺り足で大きな蛇頭を振る。警護棒を構えた先払(警護)、化粧まわしを締めた相撲(勧進代の相撲は「小桜」の四股名である)、獅子連の纏め役である獅子頭、高張提灯、神主などで行列を作る。お祭りでは、先ず獅子が出て、境内を清めた後に神輿が渡る。云わば、獅子は、神輿の先払いである。しかし、境内に解き放たれた獅子は、喜び勇んで、なかなか言うことを聞かない。それを制御するのが、警護と相撲の役割である。祭の間中、獅子は、獅子頭が掲げる「獅子頭」の提灯を目印に、舞い踊る。時には、獅子頭の提灯に挑みかかる。境内一杯に繰り広げられる荒々しくも勇壮なやり取りに、観客は酔い痴れる。

そして、大団円。祭りのクライマックスが、獅子を拝殿に入れる時である。境内の中央で拝殿を睨み仁王立ちした小桜が、それまで手に持っていた扇子を化粧まわしに挟み込む。そこにすり寄った来た獅子を小桜が突然担ぎ上げると、お囃子がそれまでのにぎやかな調べから、ちょっと哀愁を帯びたものに変わる。何時までも遊んでいたい獅子と小桜の力比べ。なかなか一度では、獅子を入れることができなく、逃げ出してしまう獅子。逃げ出した獅子は、今まで以上に荒くれ、境内中を駆け回る。時には、観客の群れの中になだれ込む。数度のやり取りの後、獅子を担ぎ上げた小桜の足が拝殿の階段に掛かると、獅子も年貢の納め時、宮入である。囃子の調子が一段と変わり、境内中を祭の終わりが支配する。

勧進代総宮神社の獅子頭は、3体あるが、最も古いのは、約200年前に作られたものである。目に特徴があり、「赤目」の獅子である。元々は、金色の目だったのだろうが、年月を経て下地の赤がまだら模様に浮き出て、あたかも血走ったように見え、凄みを与えている。今年の春祭りには、この赤目の「守助」獅子が登場した。生憎の雨模様であったが、ずぶ濡れになりながら、今年の五穀豊穣と家内安全を祈願した。

 

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