子孫を想う情念の山地農業用水堰と水利権

 とある団体のブログに投稿した拙文である。

 4月に入っても連日雪模様が続き足踏みしていた春が、連休の声とともに山形にも一気に訪れ、梅に、桃、桜に西洋なし、さくらんぼ、庭の水仙、芝桜など春の花が一斉に開花し、百花繚乱、長井盆地は一面の花盛りであった。例年なら、ソメイヨシノから一呼吸おいて咲き始める樹齢1200年の国指定天然記念物のエドヒガンの古木「久保桜」も「大明神桜」も一緒に花が開いた。

実質日本一の桜の巨木 長井市草岡の大明神桜

 目を転じて、残雪の西山を眺めると、何時の間にかブナの濃い緑が山の中腹まで登っていた。ブナの発芽は、いつもの年ならば、峰伝いに始まり、次第に斜面に広がっていくが、今年は、一気に峰から斜面に濃い緑が広がっている。峰伝いにブナの緑が登っていく様子を古老は「峯越(ほっこし)?」と言い、峯越は、長井盆地に本格的な春の到来を告げ、水田の耕耘、代掻き、田植えと春作業も盛りを迎える。

満開の桜から長井盆地に恵の水を供給する葉山を望む

 西山は、地元の通称で、正式には「葉山」である。朝日連峰の南の端に位置し、標高1200mとそれほどの高さではないが、山頂には、「御田代」と呼ぶ高層湿原がある。池塘には「モウセンゴケ」や「ミツガシワ」などの高山植物もみられ、日照りの年でも干上がることがない。土地の農家は、田植えが終わると早苗を持って葉山に登り、御田代に田植えし、五穀豊穣を祈る信仰の山でもある。

夏の日照りでも涸れることがない葉山山頂の御田代

 ここに地元で保存活動している2つの山地農業用水堰の遺構がある。一つは、「嘉永堰」で、嘉永6年(1853年)の大旱魃を契機に、米沢藩が嘉永6年の晩秋から冬にかけて施工したものである。本来葉山の西側に流れて置賜野川に注ぐ水を約700mの掘割によって東側に引水し、約200haの水田を潤した。

 もう一つが、湿田を乾田化する暗渠排水工事の施工に伴う水不足を解消するため、昭和7年から9年にかけて地元の共同事業として施工された「昭和堰」である。葉山の山頂直下から、土管や素掘の水路で嘉永堰上流まで約3500mを引水した。これにより嘉永堰の水量が増し、昭和9年の大凶作を経て、翌10年には、湿田70haの「県営暗渠排水事業」に着手することができた。

 何れも、標高1000m以上の高地に位置し、昭和堰の工事では、土管やセメントなどの工事資材を人力や牛の背で担ぎあげ、山中に小屋掛けしての難工事であったことを当時の写真が伝えている。冬には数mの積雪がある場所であり、急な斜面に敷設した土管や水路が雪崩で崩落するなど、工事完成後も、施設維持のため、毎年葉山に登り、堰の泥上げや補修を行ってきたという。 

苦労が偲ばれる斜面に建てられた藁ぶきの現場事務所

 このように、江戸時代から昭和へと、水稲の豊作を願い、貴重な水資源の確保に貢献してきた「嘉永堰」、「昭和堰」であるが、置賜野川本流に木地山ダムが建設された昭和30年代後半、その役目を終え、その存在も何時の間にか忘れ去られることとなった。

かって嘉永堰、昭和堰の水で潤された地域の水田

 それから30数年後の平成4年、嘉永堰のことが記された古文書に導かれ、地元の先達の遺徳を確認しようと「嘉永堰・昭和堰を見る会(現:西山の史跡を見る会)」が結成された。登山道から離れ、アプローチもままならなかった2つの堰のルートを探索するとともに、有志10数名で毎年根払いを行い、苦難の末、完工した工事を後世に伝え残すため、遺構の保存に努めている。これらの活動と地元の自然保護活動家の尽力により、見る会が根払いした昭和堰の遺構が葉山登山道の迂回・周回コースとして登山地図に掲載されるまでになっている。

毎年行われる遺構を守る根払い作業

  調布市在住のサイエンスボランティアが「子孫を想う情念の山地農業用水堰」と呼んだ嘉永堰、昭和堰であるが、地元では、今、この水を使うことができない。今年から本格実施された環境保全型農業直接支援対策のメニューの一つである冬季湛水管理では、当然のことながら冬季に用水を確保する必要があるが、この地域の農業用水路の水利権が、ダムの完成とともに一本化され、それまでの慣行水利権が消滅してしまっているのである。

 冬季に地域を流れる水は、かっての嘉永堰、昭和堰の下流の沢から集まった水であり、縄文の昔から、集落の発生とともに数千年に渡り地域を潤してきた水である。しかし、現在の水利権が、水稲の栽培期間に限られるため、正式には冬季の農業用水として使えないのである。地域には、直接支援対策が始まる前から、「冬水田んぼ」に取組んできた農家がいるが、それは「盗水」に当たり、直接支援対策の対象とはならない。

 ダムが出来た昭和30年代は、環境保全型農業の概念もなく、まして冬季湛水などもってのほかだったろう。時代の趨勢の中で、国あげての環境保全政策でありながら、一方の河川行政が柔軟に対応できない制度に矛盾を感じながら、今年も7月には、1泊2日の根払い作業に向かう予定である。

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